Architecture and Urbanism
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ロヘリオ・サルモナ

南米建築の象徴であり、その才能をおもにボゴタにおける作品で遺憾なく発揮しているロヘリオ・サルモナは、1927年4月28日、パリにてスペイン人の父とフランス人の母の間に生まれ、幼少期にコロンビアへと移住した。ボゴタのテウサキッロ界隈にあるチューダー様式をまねた家で成長したサルモナは、常にコロンビア人であることを自認しつつ育っていった。その後コロンビア国立大学の建築学科に入学し、建築を学び始めたが、1948年の内乱を機にパリへと移住し、10年近く建築家ル・コルビュジエのもとで働いた。またその間、デザイナーであり建築家でもあるジャン・プルーヴェのもとでの協働も経験している。この時期に彼は平行して勉学も続けており、ルーヴルでジャン・カスーとともに現代美術を学んだり、ソルボンヌのパリ高等研究院でピエール・フランカステルの主催する芸術社会学プログラムに参加したりしている。また、フランスと地中海諸国、北アフリカでの研究旅行は彼の職業上の体験をきわめて豊かなものとした。
1957年の終わりに彼はコロンビアへと帰国し、ボゴタの重要な建築家たちと一緒に発展的な公共空間を生みだすためのグループを結成した。これは彼のその後の作品に一貫してみられる特徴ともなっている。ボゴタに居を構えたサルモナは、北アフリカからスペイン南部にみられる建築の伝統に根差した作品を矢継ぎ早に発表し始めた。そこには、ムーア人の影響が顕著であり、さらにイベリア人のアメリカ大陸上陸に端を発した南米固有の文化の痕跡があった。
それから50年間以上にわたり、サルモナの生みだし続けた新たな建築はコロンビア国内の建築シーンを独占した。彼の最初のプロジェクトは、都市計画と空間的ヴォリュームの利用法の密接なかかわりを第一に考えたものであり、そこで強い印象を残した煉瓦という素材はそれ以降も彼のお気に入りの素材の1つであった。1970年代はじめには、サルモナはボゴタの「パーク・タワー」計画の住居コンプレックスに集約される厳密な建築のタイポロジーを生みだすことに挑戦し、それが普及したことで世界的な関心を集め始めた。1980年代のはじめにはサルモナの活動はコロンビアのみならず国外にも知られることになり、2004年にはついに誉れ高いアルヴァ・アアルト・メダルを受賞している。
ボゴタはいまやほかの南米都市の理想と目されている。しかしながら、そうした偉業とは裏腹に、サルモナはコロンビア国内に今も根深く残る社会的な階層格差を攻撃し、そこから生じる貧民層の生活改善の必要性を説いていた。

コロンビア国内の建築賞はもちろん多くの国際的建築賞を受賞している。コロンビア共和国建築賞(1986年、1988年、1990年)、アメリカ建築家賞、汎米建築家協会コスタリカ支部(1999年)、アルヴァ・アアルト・メダル、フィンランド(2004年)、米国建築家協会(AIA)名誉会員(2006年)、ヴェネツィア・ビエンナーレ建築部門金獅子賞(2006年)など。

ロヘリオ・サルモナは2007年10月3日に80歳でこの世を去った。


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掲載月号
2008-3