20代 建築ことはじめ―――住宅の時代
◎ブロック造のT氏邸 |
◎丘の上のゲストハウス |
◎住友商事衾町社宅 |
◎掛川市庁舎 |
◎私たちの家(I期) |
◎兄たちのすまい |
・清家清と現代の住居デザイン |
・アトリエから脱皮して共同体へ |
・一流のエキステリヤー・デザイン |
・民衆と建築との単純な結びつきよりも建築にたずさわるものの民衆としての自覚を |
・レーモンドのディテール |
・『新建築』QQQQ欄・投稿七編 商売とARBEIT/無題/一等案実現のために立て! |
著作権の確立は日常の闘いで/学会賞にもの申す/日本建築家協会へ/民衆ノイローゼ論 |
|
30代 コンペの周辺―――私のコンペ遍歴
◎国立京都国際会館コンペ応募案 |
◎大阪万国博リコー館 |
◎SBC信越放送美ヶ原送信所 |
◎東洋経済新報社 |
◎三愛ドリームセンター |
◎某公館 |
◎浜松市体育館 |
◎リコー時計恵那独身寮・家族寮 |
◎裏磐梯国民休暇村宿舎 |
◎信濃美術館 |
◎パレスサイドビル |
・パレスサイドビルについて |
・パレスサイドビルの時間―――三つの時代、三人の批評 |
・私の壊した名建築 |
|
40代 施主論―――私が出会ったクライアントたち
◎ポーラ五反田ビル |
◎静岡県庁東館 |
◎茨城県議会議事堂 |
◎サイクルスポーツセンター |
◎日本IBM本社 |
◎自治医科大学 |
◎三井物産本社ビル |
◎沖縄海洋博覧会住友館 |
◎山之内製薬本社ビル |
◎日本プレスセンタービル |
・建築から脱出した経験――大阪万博リコー館 |
◎私たちの家(II期) |
・対談「私たちの家」林昌二+林雅子 |
・私と私たちにとっての「設計」 |
・その社会が建築を創る――ある批評家にこたえて |
・私にとっての批評家としての山本学治 |
|
| |
50代 本社ビル論
◎伊藤忠本社ビル |
◎新宿NSビル |
◎日中友好会館別館 |
◎三井住友海上ビル |
◎新・東京都庁舎コンペ応募案 |
●オフィス論:オフィスの世紀 |
|
60代 同時代の建築を語る―私の印象に残った建築
◎NEC本社ビル |
◎文京シビックセンター(I期) |
◎掛川市庁舎(新) |
・建築の転生ということ―――掛川・旧庁舎から新庁舎へ |
・新庁舎の設計について |
・保存・再生・新生―――日本火災横浜ビルに関連して |
・県議事堂から県立図書館へ―――「建築の力」が生んだ再生例 |
・「アトリウムが危ない」または「突然の敵・新たなる敵」 |
・災害と戦う決意が必要 |
・「建築家」は、いなくてよいか |
・窓は気味が悪い? |
・一九九六年の建築―――既成の枠を超えた三つの建築 |
・逆設計 |
・吉村順三さんを悼む |
・清家研究室の思い出と傑作「私の家」 |
・家の悲鳴 |
・競争原理か、信頼原理か―――設計入札に対する見解 |
・二二世紀をどうつくるか |
|
70代 日建設計のDNA
◎ポーラ美術館 |
・鈴木常司前会長とポーラ美術館のこと |
・お別れのご挨拶 |
・国会移転は必要、東京のためにも―――現国会議事堂はミュージアムに、霞が関はガバメントパークに |
・ニューヨーク・ワールドトレードセンタービルの崩壊をどう受け止めるか |
・設計事務所にとって組合とは? |
・建築博物館という小さな芽 |
・「倫理なき社会に」改めて建築家の倫理を考える |
・「夜目遠目」 未来をむしばむJV中毒/鳴呼、 ゼネコンとの設計JV/木造は鍼灸か |
脱建築/9・11以降/百年建築? |
|
年表
執筆リスト
作品掲載リスト
図表(担当作品の延床面積と高さの推移) |
|
批評
批判的であり、実践的でもある例外 隈 研吾 |
建築を育むことの意義 建築家・林昌二の仕事 松隈 洋 |
|
|