『風土から文学への空間 建築作品と文化論』(若山滋 著)書評

平易な言葉で風景の深部を描く
内藤廣(建築家)

若山滋さんの書く文章が好きだ.詩的な情緒を含みながら,それでいてわかりやすいからだ.言葉に質感や潤いがある.論じている対象に対して一定の距離を取って入り込みすぎない.だから,文章に淀みがなく読みやすい.その若山さんが『風土から文学への空間』を上梓する.文章の多くはこれまでのものをまとめたものだが,不自然な感じがしないのは若山さんの思考や目線が,変わることなく一貫しているからだろう.これは書かれる文章が人格と一体になっている証左だ.内容はどの章も面白く示唆に富んでいる.

“文学の中から現れる古代人の心の中の都市空間と,その時代を扱う科学としての歴史学によって推測される物理的都市空間には,明らかに「ズレ」がある.そしてその「ズレ」こそが,その時代の空間と人間の関係の真実を物語る鍵であるように思えたのだ.”(本書より)

なるほどと思う.こういう文に接すると,気持ちの中の雲間に光が射すような気がする.この本の中には,こういうハッとさせられるような思考がいくつもちりばめられている.小林秀雄,夏目漱石,ドストエフスキーについての深い洞察がある一方,司馬遼太郎やビル・ゲイツに直接,接した体験も出てくる.

平易な言葉で,物事や風景の深いところを描くのは至難の技だ.単に資質だけで獲得できるものではない.往々にして,建築家の書く文章は難しくてわからないことが多い.書いている当人が本当に理解しているかどうかも疑わしい高度な思想や哲学の引用で彩られていたり,整理がついていないような論理が複雑に編み込まれている.そういう文章に接すると,たいへんなんだなぁと思うと同時に腹が立ってくる.建築家は,言葉を軽く見すぎているのではないかとさえ思えてくる.言葉を弄んではいけない.内輪のサークルならそれでもよいが,ここをしっかりしないと世の中から信用されない.若山さんのような書き手をもったことを,建築界は誇りとすべきだし,範とすべきだろう.世の激動に思い悩む中堅若手の建築家,これから建築を目指す若い世代に読んでほしい.

(新建築2003年11月号書評より)